わたしと子どもと時々オット

中1・小4・小1、ときどき夫。くらし、インテリア、子育てに関する日々のできごと。着るものも住まいもシンプルが好き。無印良品が好きです。

自分の力で生きていく子に育てたい

なんでこんなに子供のこととなるとアツくなるんだろう・・

特に勉強面。

そのパワー、なぜ自分の時にもっと発揮しなかったのか??( ´∀` )

 

子育てあるあるではないでしょうか?

小6・小3・年長 子育て中の専業主婦 きなこです。

 

よく、親のリベンジ?のためとか言う人もいますが、まぁ親の二の舞を踏むようなことはさせたくないよね~っというのはリベンジというよりも、親ならあって当たり前の感覚なのだと思っています。

 

 

 

 

自分の食い扶持は自分で稼いでね

 

いきなりすみません。

 

これは私が常に思っていること。

親は必ず死にます。今は家族というチームだけれど、それぞれが家庭をもつようになり、それぞれにパートナーができると、きょうだいで助け合ってね!にも限界がある。

 

 

 

私は一人っ子で育ちました。

親が当時では珍しく40歳を過ぎてからの子どもでしたので、それはそれは可愛がられました。

反抗期はそれなりにあったと記憶していますが、「お父さんうざい」なんて思ったことは一度もなく、ファザコンであり、マザコンでありました。

ごく普通のサラリーマン家庭で、ごく普通のスペックの親でしたが、母親はいつも身ぎれいにしていましたし、親の年齢が友達の親御さんより一回り上だということを知ってびっくり。私はうちのお母さんが一番きれいで美人でおしゃれ♪なんてアホなことを本気で思っている子どもでした。

こんな日々が永遠に続くといいな~なんてのんきに思っていました。

 

でも、私が28歳の頃、4月に夫との結納をすませ、8月に結婚式を控えていた5月末、父が病に倒れました。

癌でした。

近所の病院に救急車で運ばれ、レントゲンを先生に見せられ、ドアが大きく開いている診察室で「肝臓がガンだらけや!ほれ見てみぃ!ここもや!ここもや!これはもうあかんあかん!」と外にほかの患者さんがいるにも関わらず、大きなダミ声で母とふたり告知されたこと、今でも忘れません。

余命0日。いつ亡くなってもおかしくない状態。

 

8月の結婚式はもう見るからに癌ですと隠し切れない姿ではありましたが、父は車いすから下りてバージンロードを歩いてくれました。

 

11月の半ばに父は他界しました。病気がわかって5か月ちょっとでした。

癌がお腹の中で破裂して、ショック状態でした。

亡くなった時に思ったこと。

 

「あのお父さんが死ぬんや。人ってほんとに死ぬんや」

 

でした。

 

 

でも、父が他界して4年後、今度は母に癌が見つかりました。

母も末期でした。

父のショックからも立ち直れていないのに、もう私も生きているのが辛すぎました。

母親への私の依存が大きすぎました。

子どもがいるにもかかわらず、です。

最悪な精神状態です。

 

そのころ、長女が生まれたばかりで、長女を抱きながら母とCTを見せられ「精密検査をしたいので入院してもらえますか?」と先生に言われた日のこともまた忘れられません。

父のCTを何度も見ていたので、母の状態も素人の私でもすぐわかりました。

その後、余命3ヵ月の告知。

母は抗がん剤がよく効いてくれたので、そこから2年半がんばってくれました。

孫を見せられて本当によかった。

 

亡くなる直前、具合が悪くなって入院していたときの最後の会話。

母「え?私もうあかんの?」

暗い表情の私に、目を丸くして母は聞いてきました。

嘘はついたらだめだと思い、

「このままおしっこが出なくなったらあかんくなってしまう。何とか頑張って」と伝えました。

母は、その3日後に静かに亡くなりました。

 

 

両親を亡くして思ったこと。

 

本当に夫と子どもがいてくれてよかった。

お金の心配がなく、夫のおかげ、実家の親のおかげで生活が安定していてよかった。

 

これ、普通のことやん?と思われるかもしれませんが、今のコロナの浸食によって本当に世の中が混乱の渦の中にあります。

 

また、先ほど書いたきょうだいでも助け合ってね!というのは実は私の母の兄弟の話とつながります。

 

うちの母は、私を産んで専業主婦になりましたが、そのころには珍しくバリキャリ(死語)でした。

母が亡くなって、あれこれ整理していると、こんなに稼いでいたんだ・・と驚くことがありました。

その反面、下にふたり弟がいたのですが、お金の面では本当に屑の屑でした。

その二人も亡くなりましたが、母に多額の借金をして、それも返済できる能力もありませんでした。

でも、母は一回りも年下の弟だったから、おっさんになって所帯をもっていても、可愛さもあり助けずに放置などできなかったのです。

この辺、当時一人っ子の私には理解不能でしたが、今子供たちをみているとわかります。

弟や妹ってかわいいものみたいです。

 

この借金を知ったのは母の闘病中でしたが、絶対私は姉弟でお金を頼るような甘えた育て方はしないと強く思いました。

子どもたちにも恥をしのんで、この話はしています。

姉弟で頼らないといけないようなことには絶対になるなと。

 

話が逸れましたが、

かつて私が就活をしていたころ「勝ち組やーん!すごいとこ入れたねー!」と言われていた業種の友人も今仕事で苦しい立場にあります。

 

でも、彼女たちをみていて思うのは、友達は「生きる力」を身につけています。

今話をしていても「自分の食い扶持は自分で稼ぐ」ができる友人たちです。

私は結婚と同時に寿退社しました。

 

また当時、保育士さんや看護師さんの親友たちとの飲み会で

「お給料いくらもらってるんー?」なんて気軽に聞きあっていました。

私は当時友人よりはるかにお給料はよかったです。

友達は当時「仕事がめっちゃしんどいのに給料安すぎやー!」って笑っていました。

 

でも、今私が再就職しようと思っても、彼女たちの稼ぎがポンと決まるのか?といったらないと思います。

 

また私の以前のような年収は当たり前ですが無理です。

これは私だけではなく、私のまわりにいる高学歴の専業主婦ママ友と話していてもよく話題になり、また痛感します。

 

 

お金・年収がすべてではないよね。でも・・・

自分が自分らしく暮らせるだけお金があることと心のゆとりは別ではないなとも思うのです。

 

親が生きている時は、まさにあったかーーいお湯につかっていました。

精神的にも、金銭的にも常に守られた存在だったのです。

 

でも、人って一人です。

 

子どもたちには、お金は残せません。

教育費の準備に1人1000万。

3人もいるので、一人っ子だった私とはわけがちがいます。

 

いま私は教育だけは残してやりたいと必死で子育てしています。

お金は残せないけれど教育の種まきと、ある程度の苗までは育てるから、あとは自分たちで枯らさないように養分という勉強をしながら維持するんだよと思っています。

 

勉強のできるお子さんの親は「勉強しろ」って言わないって雑誌やテレビで見ますが、

私は思いっきり言います。

 言わなかったら子どもなんて普通さぼりますよ。

うちの子は普通の子なので、そんな感じです。

 

ただ、やらせ方にコツはいると思います。

ただ勉強しろ・・だけは言いません。

 

勉強やりなさいよ!は子供に伝わりにくい

私はこれとこれをこの時間でやってね!と具体的に伝えます。

私もかつては「勉強の時間になったよ!」とだけ抽象的に伝えていました。

でも、それだと限られた時間、子供のパフォーマンスがとっても悪いことに気付きました。

机に向かっても

「なにしよっかな~」からはじまる➡時間の無駄。

自分のやりやすい問題、テキストに偏りがち➡無駄ではないが、学力が現状維持になってしまう

 

今は子どもが何をやっているかを私がすべて把握しています。

そしてマル付けはすべて私がやります。

こういう作業だったり、勉強の作戦だったりを考えるので、ぼーっとしている暇はわりとありません。

 

漠然とした伝え方ではないので、子どもは勉強するのは食事やお風呂と同じ感覚で、時間になったら机に向かいます。

 

色んな家庭環境があって、うちもその一部ではありますが、学習って本当に息をするように小さいうちからやらせること。

 

周りがスパートをかけはじめたころになって、毎日2時間宿題以外に机に座る習慣をまずはつけさせよう!なんて思っていたら、出遅れます。

あくまで何とか上位層に入れたい!を目指している場合ですが。

 

 

その勉強、ただの作業になっていないか、確認が大事だと思う

勉強の習慣は一生ものです。

 あの子、あんなに他の習い事やってて時間がないはずなのに、すごいんだよねーってい

うお子さんの場合、ほとんどが座っている時間は短くても、内容に間違いがないのです。

長時間座ってても、勉強がただの作業になっているのなら、それは長時間座れてえらかったね~というだけの話なのです。

限られた時間の中で、勉強がただの作業にならないこと、身につくテキストを選ぶこと、それに頭の筋トレを続けられる子になってほしいと思っています。

 

今日の記事は、子供の顔がちらついて、普段子供に言っているような感じでえらっそうに書いてしまいすみません(汗)